梅雨まえの湿度の低い夜に高橋悠治を聴く

    2016.06.02 22:21|未分類
     今夜は代々木上原のムジカーザに行き、高橋悠治のソロ・コンサートを聴いてきました。
     「予約不要 当日」とありますが、要は、予約を受け付けず、チケットも発券せず、ということ。入場料四千円を出しても、入場券も、プログラムも無し。笑。会場に入ると、開演時刻までに満席となり、係員が補助の椅子を幾つも出していました。
     チラシ(プログラム)が無い代わりに、悠治さんが小声で解説してくれるのでした。

    Henry Purcell パーセル (1659-1695)
      Ground on Gamut 音階のグラウンド Z.645
      Ground グラウンド ニ短調 Z.D222
      A New Irsh Tune (Lilliburlero) リリーバレロ Z.646
      Sefauchi's Farewell セファウチの別れ Z.656
      Round O (from Abdelazer) ロンド(アブデラザール) Z.T684
    William Blake・高橋悠治 
      ブレイクの虎 Tiger! Tyger! burning bright (2015)
    Matthew Locke (1621-1677) マシュー・ロック
      Suite No. 2 in g Almain / Saraband / Virago / Round
    高橋悠治 
       吹き寄せ assemblage (新作初演)
    Jan Pieterszoon Sweelinck (1562-1621) スウェーリンク
       Paduana Lachrimae (colorirt) SwWV328 涙のパヴァーヌ
      Mein Junges Leben hat ein End SwWV32 青春は終わった



     演目は上のとおり。これにアンコールとして、ルイ・クープランの何かの曲が演奏されました。
     バッハよりもずっと古い、17世紀や18世紀の作曲家の曲。そこから、バロック、古典、ロマン派を中抜きして、悠治さん自作の現代音楽に受け渡されます。
     「19世紀音楽はだれでも弾くから競争になるだけだし、音楽がもう死んでいて、経済的価値しか残っていない。」

     こうやって聴くと、今でもクラシック鑑賞の中核にあるロマン派って、がつがつとした、浅ましい音楽なのだなと思ってしまいます。鍵盤楽器の演奏は、このように、もっと隙間があってもよいのだと感じました。

     変な言い方ですが、悠治さん、普通にピアノがとてもうまい。二階席の、ピアノを真横から見下ろせる位置に居ましたので、悠治さんの奏法がよくわかりました。→(参考)『掠れ書き25 ピアノを弾くこと』
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    梯剛之ピアノリサイタル

    2016.06.05 11:33|未分類
     梯剛之。かけはし・たけし、と読む。1977年生まれ。受賞歴はロンティボーコンクール2位など。

     今日は雨。関東も梅雨入りっぽい雰囲気ですね。
     きのう午後は、上野の東京文化会館小ホールでピアノリサイタルを聴いてきました。

    モーツァルト:サルティの主題による変奏曲 イ長調 K460
             ピアノソナタ第5番 ト長調 K283
             ピアノソナタ第11番 イ長調 K331〈トルコ行進曲付き〉
    ベートーヴェン:ピアノソナタ第8番 ハ短調「悲愴」op.13
             ピアノソナタ第31番 変イ長調 op.110
    (アンコール)シューベルト:即興曲 変ト長調 op.90-3


     開演三十分前の開場の時刻に着いたのですが、すでに長蛇の列。全自由席なので、少しでも好みの席を取りたい、と。それだけ熱心な聴衆が多かったのでしょう(笑)。

     なんというか、もうまったく別格の演奏で、心を揺り動かされました。
     モーツァルトのオペラなどを聴いていると、「モーツァルトにとって(自分の)音楽でできないことは何一つなかっただろう」と感じることがあります。梯さんのモーツァルトソナタを聴いていて同様のことを感じました。楽譜だけ見れば極めて単純な道具立てながら、後年のベートーベンやショパンのピアノ作品に優るとも劣らない深い内容を秘めているのが、梯さんの演奏からわかります。
     逆に言うと、モツ・ソナが砂糖菓子のような甘くて軽やかな音楽に聴こえるとしたら、それはピアニストの芸術家としてのステージがモツ・ソナの高みに追いついていないからでしょう。

     変奏曲イ長調 K460。この曲は知りませんでしたが、今では偽作とされているようで、ベーレンライターの全集にも入っていません。ただしプログラムによると、この曲の成立にモーツァルトが何らかの関与をしていたようで、それもあって演目に加えられたようです。
     おもしろいと思ったのは、梯さんの曲の冒頭からの入り方。いつ弾き始めたかわからないような、ちょっと遠くから聴こえてくるような音で曲が始まるのです。これはモーツァルトの三曲で、すべてそうでした。「古典派だからかっちりとしたテンポで」というような先入観があるとしたら、それは違うよ、、、と。
     ソナタ5番と11番ですが、アンダンテが速いです。もはや「緩徐楽章」という感じではない。これは近年の研究でもわかっているように、モーツァルトのアンダンテは、その後のベートーベンから現代に至るアンダンテとは別物とされています。その路線を踏襲した解釈だと言えます。
     これに連動してかどうかはわかりませんが、第一楽章と終楽章も速めでした。11番の変奏曲も所によっては相当に速い。(ぼくもこの変奏曲は一応レパートリーに入っていますが、この速さにはできません。→技術の無さで弾き方を限定されるのは寂しいことです。)
     速いといっても、急かされるようなテンポ感ではなく、音色(オンショク)はつねに柔らかいのです。(ピアノがベーゼンドルファだからではなく)梯さんが培ってきたものの中から出て来る音でしょう。

     そしてベートーベンの作品110。このリサイタル全体はこの曲のためにあったのかも、、。「これから僕は、この曲の持つほんとうの魅力とメッセージを、絶対に、あなたに伝えますよ」――弾き始める前から、梯さんの身体から発するものがそれを表していました。梯さんはそうせざるを得なかったし、そうすることが最高の喜びだったでしょう。
     まことに僭越ながらも現在この曲(全楽章)をレッスンで取り組んでいるせいもあって、全身を耳にして聴き入りました。できればアンコールでもう一度、全楽章をひいてもらいたかったね(笑)。
     ベートーベンを前向きに聴く人で、この曲をリスペクトしない人っていますかね? むだなものの一切をそぎ落とした、というか、ベートーベンの曲の中では異色かもしれない。

     梯さんの演奏会記録やCDのリストを見ると、レパートリーはプロにしてはかなり狭い。(一部のピアノ学生やアマチュアより狭いかもしれない)。全盲者ゆえの困難もあるでしょう。
     かねてから、ステージに立つピアニストにはもっとレパートリーを開拓し普段聴かないものも演目に加えてほしい、というのが持論でした。
     しかし、一曲一曲にこれだけ純度の高い演奏をする梯さんに、まちがってもこの持論を当てはめることはしません。

    MJ関連は音楽雑誌エリスで

    2016.06.08 14:29|未分類
     安冨歩さんによれば、マイケル・ジャクソンは人類にとっての救世主であり、マハトマ・ガンジーにも匹敵する大思想家でもあるのです。
     そんな安冨さんのメッセージを知るためには、新刊の『マイケル・ジャクソンの思想』(アルテス・パブリッシング刊)を読むのもいいでしょう。
     ですが、それよりいいのは、無料のネット音楽雑誌『エリス』を購読することです。
     三か月ごとの季刊で、2012年10月に創刊されて、今月にvol.15が出ましたが、創刊号からずっと安冨さんの『マイケル・ジャクソンの思想」が連載されています。
     実はこの種の音楽関係の記事には、歌詞の著作権問題が発生するので、肝心のマイケルジャクソンについては安冨さんもネット上で気楽に書けなかったわけです。(→ぼくも今年に入るまでエリスとこの連載を知らなかったわけで、たいへん損した思いをしました)。音楽雑誌エリスでは、もちろんその問題はクリアしているので、安冨さんも水を得た魚のように筆をふるっています。
     なにより無料ですので、購読したらいいでしょう。→http://erismedia.jp/ (中央のボタンを押す) メアドを入れれば、バックナンバーを含めすべての号のパスワードが送られてきます。

     書籍よりネット雑誌が良いもう一つの理由は、書籍はネット雑誌連載の前半半分しかカバーされていません。(後半については書籍の続巻を待たねばなりません。)安冨さんの最新の思考を知るにはネット雑誌を読むべきです。

     最新の連載第15回は、アルバム「invincible」の中の、Heaven Can Waitと、Don't Walk Awayの二つの歌についてです。

     かつて私は、愛と執着とは対立するものだと考えていた。しかし、この歌を深く味わうことで、両者は相互に無関係なものではないか、と考えるようになった。というのも、ここに描かれた「彼女」に対する執着は、人間の本性に根ざした、実に美しいものだと思えたからである。
     愛というのはその人の人格から自ずと発するものであり、執着とは対象に向かうものである。人を愛することの出来る立派な人が、何らかの対象に執着するとき、執着される対象となった人は無上の悦びを感じる。それが本物の愛である。
     これに対して、人を愛することのできない惨めな人が、他人に執着するとき、それは恐るべき所有欲・支配欲となる。そこで生じるのは「愛」と称するハラスメントである。


     それと、今回の連載には、安冨さんとその家族が飼っていた白猫が四年と少しの短い生涯を終えた話があります。厳しく、哀しい話ではありますが、猫ちゃんの持つ愛の力が描かれています。ぜひ読んでください。
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    プロフィール

    諸パン

    Author:諸パン
     2011年初夏生まれの三毛猫マズルカ♀
    ww A- Oo D- ii -- B- C- SS L-
    体重 4.3 kg ('16.07.14)
    max 4.3 kg

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